あそびの発露
階段の下を利用した『えほんのあなぐら』、押入の下を利用した『かくれがこーなー』、床の高くなった『畳のステージ』、そして巨大な株立ちの皮むき丸太と、枝付の檜が林立する、『きのぼりほーる』。生活と遊びが溶けあった、以上児保育室棟の増築である。
吉野の銘木店で園長自ら選定した表情豊かな登り木には、こどもたちが鈴なりにしがみついている。たくさんの枝が突き出した檜材を前に、保育者が、施工者が、設計者が一堂に会して、登り、ぶら下がって、建て位置から枝の剪定までを体で考え、冒険と安全の狭間で悩み、家具職人の手で仕上げたものだ。
あなぐらのこどもたちは、寝そべりながらお気に入りのえほんを広げ、かくれがでは、家族ごっこが展開されている。ここには、計画された遊びではなく、自らの発露で遊ぶ、活き活きとしたこどもたちの自然な姿がある。構造は、敷地、前面道路とも狭隘で、極めて短い工期だったため、鉄骨造を敬遠し、燃えしろ設計を用いた木造準耐火2階建てとした。上階で暮らすこどもたちが、下階に気兼ねすることなく遊べるよう、木造の弱点である上下階の遮音性能に対して、サウンドカットシステムを用いた遮音床で補った。
ある保育講習会で、「保育士が設定したブロック遊びを終えたこどもが、『せんせい、もうあそんでもいい?』と言って活き活きと別の遊びを始めた。」という残念な話を聞いたことがある。耳の痛い話だ。よかれと思った保育そのものが、こどもたちの遊びを阻害していることがあるのではないだろうか。遊びの本質とはどのようなものだったのか、私たち大人は忘れがちである。幼い頃の薄れた記憶を手繰り寄せて、もう一度、思い出してみたい。